引きこもりニートから脱出する方法【地方移住10年の米職人】

不登校・引きこもりで頭をかかえていませんか?
学校教育に合わなかったり、友人との不仲、発達障害など、その背景は単純明快なものではなく、悩み続けるご家庭が多いのが現状です。

そんな中、小学校から9年間の不登校、2年間のニート生活を過ごしたという経験者に、その実態をインタビューしました。

~この記事で書かれている内容~
✓ 小学校で不登校になった理由
✓ 親・先生・友人との関係性
✓ ニート生活を終わりにできたキッカケ
✓ 引きこもり・ニートから脱出する方法

彼のこれまでの20年の経験から、何かヒントがつかめるはずです。

引きこもりニートから脱出した話

引きこもり ニート

元不登校・ニートの矢吹さんは、関東から鳥取県に移住して10年。

今では地域のホープとなり信頼も厚い「米職人」になっています。
やりがいのある仕事を得ただけでなく、3人の子どものお父さんでもあるんです。ニートであった頃には想像もできなかった未来・・・
では、そんな現在に至る経緯を探ってみましょう。

小学校で不登校が始まった訳

不登校 小学校
ぶっきー
「引きこもり・ニート」だったと聞いて驚く方もいるほど社交的でユーモラスな矢吹さん、本当に不登校だったんですか?
矢吹
ハイ、いつも集団からはみ出る私は先生から目をつけられてました。
授業に集中できず他のことをしたり、宿題もしなかった。意思の疎通には多少の困難があり誤解が多かったかなと。
4年生の頃から徐々に学校へは行かなくなり…
ぶっきー
そうだったんですね~。
矢吹
とくにトラウマになっているのは
美術の授業で神社に行って、境内を写生したとき。
他の子が神社の全体像を描くのに対して、私の描いた絵は神社の端が切れた中心部だけ。
一生懸命書いた絵に対して、美術の先生は書き直しを求めてきました。
写真を手渡され、写真の通りに描くよう指示されたけど、何度かいても最初と同じ構図の絵になってしまう。美術の成績は2。
ぶっきー
日本の教育の目的は、指示に従って働ける人を育てることだと感じます。
画一的な行動を求められる側としては、ほんとうに苦しいですよね。
矢吹
6年間の担任はすべて中年女性でヒステリックさを感じるほどでした。6年間通して同級生とは仲良くできていたんですけどね~。

不登校、家族の反応 【祖父母からの圧力】

不登校 家族
ぶっきー
学校に行かなくなったとき、家族はどんな反応でしたか?
矢吹
学校に行くのが当たり前だとする家族には、「なんで学校に行かないのか?」問い詰められました。
とくに、同居する祖父母は学校に行きたくても行けなかった幼少時代があり、「甘えるな」といった感じで責めたてられました。
トイレに1日中閉じこもったこともありましたね。

ぶっきー
今でこそ、徐々に不登校への対応の理解も広まってきているけど、20年前は「不登校=悪」でしたもんね。
矢吹
祖父母から責められたのは、私だけでなく、母親もでした。親せきや、ご近所さんに可哀そうな目で見られ噂され、加えて祖父母からの圧力を受けた母は、ひどくストレスだったと思います。
ぶっきー
それはお母さんも辛かったですね。
矢吹
親子で体調を崩すことも多かったです。
外出しても、周りは皆、敵といった思い込みがありました。人混みに行くことは嫌でしたね。


中高と、変わらず不登校で高校卒業後はニート。
そんな矢吹さんが米職人になった経緯は・・・?

ニートから米職人に【キッカケは?】

引きこもりニート 
ぶっきー
義務教育を終えてからは、どんな道を考えたんですか?
矢吹
高校を卒業してからは、就職も進学も考えておらず毎日ただなんとなく過ごす日々でした。家で映画をみたり、友人と遊んだり、寝だめしたり・・・
ぶっきー
the・ニート生活ってわけですね。
矢吹
母の知人で、お世話になっている方が、木を伐るツアーを開催するとのことで誘われました。暇だし、と行ってみることにしたのが、始まりです。
ぶっきー
それが鳥取県だったんですね~?
矢吹
ハイ、それからまた同じ方の発案で、鳥取県に行く機会があり…二度目の訪問の際、紹介されたのが農業で起業した30代の社長さんでした。
少子高齢化の現状を知り、若い自分が役に立てる場所だと直感でピンときました。そのツアーに来たまま帰宅せず、30代の社長さんのもとで働く覚悟を決め移住しました。
ぶっきー
えぇぇっ!そんなに唐突に移住が決まったんですか~!
矢吹
気軽に帰れないような、実家から遠い場所だったのも決めた覚悟を貫くためには良かったかなと。
ぶっきー
車で12時間の距離、新幹線で帰るにも金銭的に大きいですもんね。
矢吹
毎日外で体を動かして働けることに、単純に幸せを感じました。目を閉じれば聞こえる、大自然の音には癒され…
ぶっきー
それまでの環境と全く違う生活になったんですね。
矢吹
移住したばかりの頃は声が小さかったのか、ろくに挨拶も出きていなかったようで、お隣のおばあちゃんに叱られました。地域の方に沢山育ててもらって、今があります。
助けていただいた分、少しづつ恩返しをしていきたい気持ちです。

引きこもりニートから脱出【移住10年となった現在】

移住10年

働くなら「こうだ!」という条件は3つあったそうです。
●スーツを着て働かない
●人の役に立っている実感が持てる
●世の中や、会社の小さな歯車になりたくない

現在、町内の農業法人で唯一の正社員として働く矢吹さん。高齢化の進む集落で、担い手のいない田んぼを多く請け負っていて大忙しな様子。最新の技術もどんどん取り入れ、メディアからも注目を集めています。
矢吹さんの農業法人の特徴を挙げました。

● 海藻肥料を用いた米作り
● 大型ドローンによる省労力化
● トヨタの生産管理システムを導入
● 町内の農業研修生受け入れ
● 高級ホテル・レストランも取引先
● 定期的な精米&配達で鮮度の良いお米を届ける

農業における労働人口が減少するいま、チャンスでもあると話してくれました。

引きこもりニートから脱出したいあなたへ

引きこもり ニート 脱出したい
矢吹さん
私は「若い」というだけで喜ばれ、期待されて、温かく迎え入れてもらった。自分でも役に立てるんじゃないか、という自信がうまれてきた。

本人の覚悟が徐々に伝わり、信頼関係が深まり、地元の方たちと協力し合えるようになってきたんだそうです。
今お世話になっている方が元気なうちは、生まれ故郷に帰るという選択肢は無いと話してくれました。

矢吹さん
ニート生活をする中でも、勇気を出して一歩踏み出してみることが必要。自分がピンとくるものに出会えたら、きっと人生の選択肢がぐっと増え、可能性が広がります。
いま自分はダメだなと思っていても、輝ける場所・タイミングが必ずありますよ!

矢吹さんの日々の農作業など、農業法人のFacebookで情報を発信しています。
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